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///注意///
この記事は30代おっさんが書いた記事であり
今を生きる若者とはジェネレーションギャップがあります。
従って、十年以上前のゲームばかりになってしまいました。
印象に残ったかどうかということなので、
絶対的なグラフィックやゲーム性の進歩という話ではなく、
あくまで当時としてはどれほど強い衝撃を与えたかという話になります。
FPS歴20年の間に強い衝撃を与えたゲームとはどんなものなのか
というのを主観で評価していきます。
目次
界隈を引率したレジェンド:ハーフライフ

FPSに”考える面白さ”を与えたFPS界のレジェンド
このゲームはシングルプレイにおいて、ただ目の前の敵を力業でなぎ倒していくだけではなく
ところどころ謎解きや工夫を凝らすことでゲームを面白く進めることができる、
アドベンチャー要素があることだった。
プレイヤーはエイリアンに襲撃された秘密研究所から脱出する為に研究所内の仲間と協力し、
マップにあるギミックを利用して研究所を探索していくことになる。
もちろん、FPSとしても普通に面白くやり応えがあるので、それだけでも楽しい。
その上で、様々な工夫が可能な王道的なやり込み要素もあり、多くのプレイヤーを魅了してきた。
初代Half-Lifeの物理エンジンを一新させて完全リメイクさせたバージョン
FPSに”物理法則”を与えたFPS界のレジェンド
続編にあたるHalf-Life2では、ゲームに物理法則を与えることで他のゲームを完全に追い抜いた。
転がっているレンガや木箱は決して背景やフレーバーではなく、相手に投げつけたり重し代わりにしたり、ドアに積み重ねてバリケード代わりにするなど、様々な使い方ができた。
また、それらのすべてに物理法則が追加され、地面に固定されるのではなく物理法則に従って転がったり落ちたりする。
爆風で吹き飛ばされた木箱やレンガにもダメージ判定があり、爆発は直撃だけでなく、吹き飛ばされたアイテムにも注意が必要だった。
この2004年当時としてはあまりにも革新的過ぎる進歩は、他のゲーム会社ではマネすることすらできず、不動の名作として数々の賞を総なめにした。
完成された基盤故に派生したゲームもメジャーものばかり

元々ハーフライフシリーズのゲームはMOD(有志によって改造)に関しても肝要であり、有志によってさまざまなMOD開発が行われた。
その中でも特に名高いのが、あの”カウンターストライク”だ。
カウンターストライクはテロリスト陣営と対テロ特殊部隊陣営のチーム戦
研究所を探索するFPSゲームから一転、リアル系のチーム戦へと変貌したのである。
カウンターストライクはそれこそ原型は1990年代に完成された老舗のゲームだが、
その完成度の高さ故に今でも世界中の人に愛され、最新版のカウンターストライク:グローバルオフェンシブは今でも月に40万人ほどがプレイしている。

スチームチャートを見ても、未だに40万人以上がプレイしているのだから驚きだ。
現在のBFの基礎を作った:バトルフィールド2

バカゲーから神ゲーへ
バトルフィールド1942はどちらかというとバカゲー要素が強く、お祭りゲーだったという記憶が強い。
作り込みに雑な所が多く、ラジオ報告も使い勝手は良くなかった。
それらを一新し、ゲームとしての面白さを追求した結果、進化したのがバトルフィールド2だ。
バトルフィールド2ではボタン一つで敵のスポット報告から要請まで可能にし、操作が非常に楽になった。
また、マップが非常に強化され、歩兵同士のぶつかり合いの市街地戦から制空権が勝敗をわける上陸戦まで、様々な分野が面白かった。
戦闘も現代戦ということでよくも悪くも殺傷力が高くなり、テンポが良くなった。
分隊機能やコマンダー機能といった、今のBFでは賛否両論の機能も、ここで初めて投入された。
そのおかげもあって、チームとしての連帯感がさらに重要になり、現代の大規模チーム戦としてのバトルフィールドを完成させたといえる。
様々な遊び方が楽しめた拡張パック

バトルフィールド2の拡張パックの1つであるSpecial Forceは、このゲームの大幅な進歩をさらに促進させた、やり込み要素の強いゲームであった。
”特殊部隊”というタイトルにふさわしく、暗視ゴーグル、フラッシュバングレネード、催涙ガスとガスマスク、登山用のフックとワイヤー付きのクロスボウで高低差のあるビルや崖を忍者のごとく飛び回れた。
これによってどんなマップの至るとこに行けない所がなくなり、同時に相手を封殺するハメパターンもなくなった。
戦車や攻撃ヘリもこの高低差を利用して戦うことで、戦車が攻撃できないところから一方的に攻撃できたり、ヘリパイロットが予想もしてなかったところからロケットを撃つことでブラックホークダウンのような戦果を挙げることもできた。
アメリカ本土を舞台としたArmored Furyでも攻撃機やUAV機能付きの小型ヘリが追加された。
更にマップも広く舗装された土地が多くなり、車両にフォーカスしたゲームが多くなった。
拡張パックは、歩兵の可能性にフォーカスしたものや車両の効率性にフォーカスしたものなど、より多くのプレイヤーが楽しめるものとなっていた。
当時の日本には早すぎたゲームだった
正式な続編であるBF3は、BF2の強く望んだプレイヤー達の熱い希望によって復活したと言える。
未だに古参プレイヤーの中では、BF2が一番面白いBFだったと考える人は多い。
生憎、年代的に考えて、BF2を知っている今のBFプレイヤーは少ないのではないだろうか。
日本だとBF3かBF4あたりから入った人が多く、それ以前のBFは知らないという人も多いのではないだろうか。
というのも、BF2はPC版でしか存在しておらず、当時としてはオンライン対戦すら実装していなかったコンシューマー機では移植すらもできなかった。
また、当時の日本ではFPSというジャンルも無名であった。
FPSというジャンルに火が着き、オンライン対戦が黎明期に当たるのは次回のCoD4以降からであり、それまでのFPS界隈は、本当にマニアックな人しか知らない領域だったのだ。
日本にFPSブームを与えたパイオニア:CoD4:MW

映画のようなクオリティで楽しめるFPS

当時としてはそのリアル過ぎる描写とハリウッド映画のようなストーリー、そんな中で繰り広げられるFPS戦闘ということで人気を得たのが、このCoD4:MWだ。
主人公はSAS特殊部隊の新人戦闘員となり、世界を股にテロリストや紛争地域に参戦していくのがゲームのストーリーだ。
とにかくグラフィックの進化、そしてそれに見合うだけの現代兵器の描写が素晴らしく、
一目見た瞬間に神ゲーという言葉が頭によぎった人も多かったのではないだろうか。
また独自のゲーム性もよく、それ自体はCoD2の時から存在していたが、ワンボタンで手榴弾を投げたり、格闘攻撃を展開したり、HPは見えないが自動回復するシステム等々、テンポの良さを重視したのも非常に良かった。
HPバーやHPが数値化されていないのでリアリティはあったし、格闘攻撃もワンボタンで繰り広げられるのでわざわざナイフに持ち替えて攻撃…、なんていう面倒な動作も必要なかった。
それらのテンポのよい動きは、いかにもプレイヤーを特殊部隊らしく表現できたことだろう。
口コミを通じて日本でも人気に
このゲームは幸い、BF2のように時代が追いつかなかった…なんてことはなく、オンライン機能が搭載されたコンシューマー機も存在しており、コンシューマー機でも発売されていた。
その結果、日本のプレイヤーの目にも届くようになり、
動画投稿サイトでプレイ動画を上げることによって日本のゲーマーにもこのゲームが知れ渡ったのだ。
思うに俺は、この瞬間に日本のFPS界隈は産声を上げたと思っている。
その後に、FPSというジャンルのものがどんどん注目を浴びることとなった。
また、パソコンでも無料でオンライン対戦ができるFPSがサービスを始め、多くの日本のFPSプレイヤーがそこで誕生したともいえる。
全てはこのゲームがFPSというジャンルを日本に知らしめたからに他ならないだろう。
BFというライバルが出るまで独走状態

日本ではもちろん、世界でもCoDシリーズはFPS業界を独走していた。
海外ではHALOこそがFPS業界のパイオニア的存在であったが、それすらも追い抜いてFPS業界の1位として君臨した。
それほどまでに、CoD4:MWのインパクトはすさまじかった。
この勢いは後にBFシリーズがBF2を継承したBF3を出すまで、止まることはなかった。
今でこそ毎年のように争っているBFシリーズとCoDシリーズだが、双方とも共にFPS黎明期で活躍したレジェンド同士なのだ。
おそらくBFシリーズにおいては、時代が追いついてくれなかったことによる無念もあるのではないかな?
そのおかげもあってかBF3の時のリアルな描写や破壊のグラフィックといったすさまじい技術の進化には
何が何でもCoD4:MWのようなインパクトを世界に与えて、取り損ねた知名度を今度こそ手に入れるという執念があったように見える。
対象外となったメジャータイトルとその理由
友人を失ってしまったPUBG

ゲーム自体は面白いと思うし、バトルロワイヤルというジャンルを作り上げた素晴らしいゲームだと思っている。
しかしいかんせん、一人でプレイするには暇すぎるし、大人数でプレイするとギスギスしてしまう。
独りでプレイしたときは、筆者は合理主義のチキンプレイヤーだ。
序盤に最低限の装備を回収して直ぐに円の中心へ向かい、終盤まで隠れているというプレイが基本だった。
そのおかげもあってか、暇で暇でしょうがない。
15分近くも何もせずに過ごすので、とにかく自分のプレイスタイルと合わなかった。
一方で友達とプレイする場合は、そんなプレイはできないので非合理的な戦闘をするものなのだが…
その手のプレイが下手くそ過ぎて友人に怒られることがなんどもあった。
挙句にはある友人は筆者の手際の悪さに激怒し、フレンドから削除されてしまったこともある。
そんな苦い思い出があるせいでPUBGはとても好きになれなくなってしまったのだ。
リアル過ぎて人を選ぶARMAシリーズ

このゲームもHalf-Life同様、派生したゲームが大ヒットとなっているメジャータイトルだ。
Dayzもそうだし、上記のPUBGとて元はといえばARMA2からの派生だ。
これほどまでに名作を生んでいるARMAシリーズだが、日本ではプレイヤーが少ない。
何故かといえば当然で、このゲームはリアル過ぎるのである。
もはやシミュレーターと呼べる代物で、ダメージ判定やマップの広さ、チームとの連帯性など、様々なものが現実的すぎるのである。
1~2発当たっただけで死ぬゲームであり、ほとんどの時間は移動であり、敵は100m以上から撃ってくるのが基本なのだ。
そんな常に死と隣り合わせのリアルなゲームのせいか、CoDやBFのようなスピーディーな展開もなく、仲間との連帯行動もできないプレイヤーは迷惑でしかない。
ここまでいくとプレイするには相当敷居が高く、普通のFPSをプレイしている人では簡単に参入できなくなってしまうのだ。
日本ではパイオニアになり損ねたHALOシリーズ

BF2とCoD4:MWの中間にあり、日本ではCoD4:MWがFPSの火付け役となったのに対し、
世界でFPSの火付け役となったのはこのHALOの方なのである。
HALOは初代は普通のシングルプレイのFPSゲームではあったが、まずコンシューマー機でプレイできるのが大きな魅力であった。
それまではメジャーなFPSゲームは当然のごとくパソコン版しかなく、BF2もハーフライフもカウンターストライクもパソコン専用だった。
更にその続編であるHALO2では本格的なマルチ対戦機能が搭載され、これが一気に世界中で知名度を獲得した。
マルチ対戦だけではなく、コントローラーが4つあれば友達や家族とも画面を分割してキャンペーンモードやマルチ対戦で遊べたりもできた。
しかし日本では全く流行らなかったのだ。
何故かと問われれば、間違いなくXbox限定だったことが原因だ。
HALOシリーズはMicrosoftが出しているゲームである以上、SonyのプレイステーションやNintendoのWiiなどで販売することはなかった。
しかし日本ではコンシューマー機といえばプレイステーションやNintendoのゲーム機を言うものであって、Xboxは異常なまでに人気がなかったのである。
そのせいもあって、日本だけはこのHALOの存在がガラパゴス化してしまい、触れられることはなかった。
結論:2004年~2007年はFPS業界の黄金期すぎた

年に一回に行われるその年最高のゲームを決めるコンテスト、Game of the Year
この結果から見てもわかるように、2001年以降、FPSの受賞が集中している。
特にHalf-Life2、BattleField2、HALO2、CoD4:MW等々、数々の大ヒットFPSゲームだが、
何故かこれらのゲームは2004~2007年に集中している。
原因は正直言ってよくわからない。
ゲーム会社の方で「FPSは売れる」というジンクスでもおきたのだろうか?
ともあれ、この時代にFPSを知った人も多いだろうし、この時代にFPSゲームを知っていた人はさぞ幸せだっただろう。
思い返してみてもとにかくヤバかった。
2004年にHalf-Life2とHALO2が出たと思えばその次の年にはBF2、さらに2007年はCoD4:MW…
名作が多すぎて追いつけなかった。
実際にはFPSの名作は2001年のHALO: Combat Evolvedの段階から始まってはいた。
ただ生憎、筆者はその当時はカウンターストライクに夢中であり、他のFPSには目がなかった。
名作FPSが多すぎて他の名作FPSに気が付かないまでに、豊作だらけだったのだから仕方がない。