社会

【京王線刺傷事件】日本社会にジョーカーは伝わらない

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2021年10月31日(日曜日)午後7時54分ごろ、

布田―国領間を走行中の京王八王子発新宿行きの上り特急電車(10両編成)内にて、

刃物をもった男が近くにいた70代の男性の右胸をナイフで刺したことから事件が発生した。

後の京王線刺傷事件となる。

 

犯人は犯行時、

バットマンシリーズに登場する悪役、ジョーカーを彷彿させる紫のジャケットスーツ緑のシャツを着ており、

「ジョーカーに憧れて犯行に及んだ」

っとも述べていたという。

映画「バットマン ダークナイト」におけるジョーカーの姿

 

余談だが、ハロウィーンにちなんだコスプレではなく、あくまでジョーカーを意識した服装だったとのこと。

流石に顔にピエロのメイクなどは施していなかった。

 

実は筆者、たまたまの偶然か、

この事件が起きる数週間前にamazonプライムにて映画のJOKERを視聴したばかりだった。

今回の事件をきっかけに、改めてダークナイトの方も見直して考察の足しにすることにした。

 

まずジョーカーとは、作中にて悪のインフルエンサーである。

キリスト教聖書の悪魔のように、

人々をそそのかし悪意を刺激させ、暴力や憎悪を目覚めさせる病原菌のようなキャラクターだ。

日本人のアニメ/漫画オタクの人に分かりやすく言うなら、北斗の拳に出てくるジャギのような存在だな。

 

しかしこんな輩は今の日本では流行らない

アメリカと日本では根本的な環境の違い、意識の違いがあるからだ。

今回はなぜ日本ではジョーカーは通用しないのか、

逆を言えばジョーカーに誘惑されやすい人というのはどういった人なのかを簡潔に語っていきたいと思う。

最後までお付き合いいただければ幸い。

 

ジョーカーについて

 

実はバットマンシリーズに登場するジョーカーは、

毎回毎回設定が異なっている。

過去の生い立ちはもちろん、あの白い顔に緑の髪はメイクなのか事故による突然変異なのか、はたまた悪事におけるポリシー等々…

そういった設定や人格は、作品ごとに微妙に異なっているため、

一概にジョーカーの人物像を確定させることは難しい。

 

服装も作品ごとに異なっており、

今回の犯人の服装から察するにおそらく、

バットマン ダークナイト のジョーカーを意識したのであろうと思う。

 

バットマン ダークナイトに現れるジョーカーは、

バットマンという影のヒーロー相手に抑圧されていた悪党のリーダー的存在としてバットマンと対立している。

一方で口が上手く、善人をたぶらかしたり、

バットマンに対して秩序やルールなど信用に値しないとほのめかしている。

 

そんなダークナイトに登場するジョーカーと今回の犯行を比べると、

彼はどちらかというとジョーカーに賛同した社会に居場所のない悪党の一人という印象のほうが的確だ。

本編のジョーカーはその口の上手さで多くの悪党を誘惑し使い勝手よく利用してきた。

対する本件の犯人は、単独犯だ。

 

今回の犯人はどちらかというと、

映画のJOKERのほうに出てくるジョーカーに近い

こちらの方ではジョーカーは社会における弱者であり、

緊張すると発作で笑いが出てしまい、そのせいで多くの人に気味悪がられ、

人を笑わせたいと思いながらも人から見下されることによってのみ笑われ、

親にも恵まれなかった。

ある日を境に暴力による快楽に憑りつかれ、

暴力による混沌を喜劇として望むようになった狂人だ。

 

聞くに今回の犯人も幼少期の生活はお世辞にも普通とは言えず、

筆者はダークナイトのジョーカーよりもJOKERのほうのジョーカーがマッチしているとおもわれる。

JOKERのほうのジョーカーは、赤いジャケットに黄土色のベスト、そして緑のシャツを羽織っている。

 

 

何故日本では流行らないのか

 

 

日本にはヴィジランテ(自警)意識がないからである。

 

作中におけるジョーカーとは、

「社会に対する強い不満や抑圧された人の怒りや恨みを刺激する」ことを得意とする人物だ。

つまり、社会に対して自らの暴力で抵抗してやろうという意識が人々にない限りジョーカーの出る幕はない

 

では果たして日本はどうだろうか?

日本人の多くは、自分の怒りや抑圧された不満を社会に訴えるのが苦手で、

如何なる理由をもってしても暴力で社会に報復するのは正しくないと潜在的に思い込まされている。

あくまで勧善懲悪は御上に委ねるものであり、自分達民間人はそこに介入すべきではないというのが日本人のスタンスだ

ここまでして社会に対して従順な日本人が相手では、ジョーカーに付け入る隙はない。

 

 

一方でアメリカはどうだろうか?

合衆国憲法第二条でも銃による武装と場合によっては国民が政府に対して反抗する武装権を有しており、人種差別や思想による差別を始めとする国内での不信感が強い。

つまり、「国や警察は信用できるとは限らない。」っという意識があるのだ。

実際、ジョージ・フロイドのような差別意識による被害者が出てるような国なのだから、

何かあったら自分を守れるのは自分だけ…」という自己防衛意識、

そこから転じて「社会は自分のことを理解してくれない…自分は社会に虐げられている…」っといった孤立感が発生するのもアメリカの社会のほうがより顕著である。

バットマンの舞台となるゴッサム・シティも、警察がマフィアに買収されてばかりでおり法の裁きが全く機能していない悪質な街として描かれており、

バットマンのような自警意識をもった人間の手によってしか救いがない状態であった。

そういった社会に対する不信感、自己肯定感や自己顕示欲といったものを刺激していくのがジョーカーの役割といえる。

 

場合によっては社会に対して暴力で抵抗することが正しい事だと考えられる人

ジョーカーはこういった意識を有する人の元にのみ付け入ってくるのであり。

 

自分よりも社会を信じる人間にはジョーカーの誘惑は通用しないのだ。

 

映画は規制されるべきか

 

ではジョーカーのような社会への不満を刺激して暴力的にしていくキャラクターを描いた作品は規制されるべきだろうか?

 

答えはNO

 

理由1:読み手の誤った解釈に作品が責任を負う必要はない

 

まずバットマンシリーズに登場するジョーカーは明白に【悪役】として描かれている

悪役なので当然、そこには「こういった人は良くないよね」という意図が組み込まれている。

その意図を読み取らずに「影響された」というのはそもそもにおいて作品の内容を理解してない人間だ。

そんな人間は遅かれ早かれ、何か無関係なものにでも自分の都合を良い解釈を重ねて犯行に及ぶことになる。

例え水戸黄門を見ていようと、「やはり暴力と権力が全てを解決する!」と歪んだ解釈をする人間がいたとして、それは水戸黄門が悪いという浅はかな答えになるだろうか?

結局のとこ、読み手の読解力不足に対して作品が責任を負う必要はない。

そんなことを言い出したら、ニュースの事件報道やコメンテーターの無責任は言動は今後何もかも規制されなければならなくなる

実際今回の犯行は、3ヶ月ほど前に起きた小田急線新幹線刺傷事件を参考にしているという。

ならあの事件を報道したマスメディアは責任をとって謝罪をした挙句に今後はそういった報道を一切規制してくれるのか?

そうはならんことはほかならぬマスメディアが一番理解しているだろうに。

 

理由2:作品が根本的な動機ではない

 

そもそもにおいて、作品を観ただけで悪に影響されるような稚拙な人間はいるだろうか?

普通に安定した生活を送っている人間はまずそうはならない。

しかし世の中には、

そういった良し悪しの判断がつかなくなるまでに自暴自棄になっている人は一定数存在する。

根本的な原因として、そういった神経が衰弱してしまう環境を放置していること自体が原因であると筆者は考えている。

 

人は嫌な事があっても、自分の居場所がありそこが神聖不可侵であるかぎり人生を棒に振ることはない。

会社で失敗しても自分を受け入れてくれる家があったり

自分のことを必要としてくれるから嫌な仕事でも引き受けられたり

自分のことを理解してくれる家族や友人がいるから他の人に誹謗中傷されてもやっていける

それが人間の居場所というものだ。

しかし世の中には、不幸にもそういった居場所が本当に見つからない人だっている。

そして居場所がない、安全地帯が存在しないと思っている人は当然、自暴自棄になりやすい。

もう何も失うものがないからこそ何でもできる、いわゆる「無敵の人」と呼ばれる人間の思考とも完全に一致している。

 

つまり結論を言うと、

居場所がなく、

誰にも理解されず、

何も失うものがない、

そういった最悪の孤立環境そのものが、犯罪者を作り上げる最高かつ根本的な苗床なのだ

作品を観て犯行を起こしたというのは、単にそんな自分自身のイメージと重ねやすかっただけで、

根幹部分とは全く関係なかったりする。

 

 

理由3:規制は長期的にみて社会をより腐らす

 

10万人中数十名が意図しない行動をしたからといって、

そんなイレギュラーを基準に世の中に規制を敷いて行ったら世の中はどうなるだろうか?

不思議なことに、「悪質なイレギュラーだけを意識した社会」ができあがる。

つまり、大多数の正常な人間の不幸なんて二の次となる

 

では不幸になった大多数派がもしもこういった規制が原因で悪質なイレギュラーに堕ちることとなったら規制が秩序を手助けしたと言えるだろうか?

会社で働けるから給与がもらえ生活ができた人間が規制によって職を失い、

生きるために悪質なイレギュラーへと堕ちることになるとは考えもしないのだろうか?

そしたらまた規制をするのか?

悪循環だろうに。

 

結局のところ、過剰な規制というのは

家にゴキブリが出たから家ごと燃やしましょう

という極端でマヌケな結論と全く同じなのだ。

しかも家を燃やしたのは全くの他人とくるものだから無責任極まりない。

 

 

 

 

そんな無関心な人間の手によって職や居場所を追われた人間は当然、社会に恨みをもつ。

そんな社会になればなるほど、

 

ジョーカーの高笑いが人々の耳へと届いてしまうことだろう。

 

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